義父とのお別れ

7月27日午後12時、義父が老人ホームで亡くなりました。75歳でした。

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義両親が約50年住んだ家に私達が住んでいます。国旗立てがあるのだから使えと義父が言った事を思い出し、看取ってから家に戻って国旗を半旗にしました。

義父はレンガ職人で、体一つで仕事をして来ました。引退した頃にはもう体はボロボロだったようです。喫煙者の義父はどんなに体調が悪くてもタバコを止めようとしなかった。慢性閉塞性肺疾患の末期になり24時間酸素マスクをし、心臓が悪くペースメーカーを勧められ手術の手前まで行ったけど拒否。脳梗塞にもなり、腎臓も悪く長く生きられない事は誰もが理解していました。

去年は入退院の繰り返し。義母がもう家で見れないと鬱になり、入院中に老健で一時待機しながら老人ホームに入居が決まりました。義父は家に帰りたいと言っていた人だったが、最終的には受け入れたのです。

ホーム生活では一切タバコを吸わなかった義父。友達も出来て落ち着いた生活を送っていました。2週間前まではワインを飲んでいた程。

それから肺炎で体調不良だと聞いていましたが、先週はあまり良くないと聞き、火曜日にはもしかしたら死が近いかもと義母が夫に言ったので、水曜日に様子を見に行こうと2人で顔を出しました。

本当はその後にドイツに買い出しに行く予定でした。しかしお昼に近い時間だったので、銀行に寄ってたら遅くなるから先に義父のところに行きました。すると義母もやって来て、午後には義弟も顔出す予定だから義母は午前中に来る事にしたと言っていました。

義父は排泄介助中でした。とても時間がかかっていました。

その後部屋に入ったのが11時45分頃。義父はもう目を開けたままだけど見えていない状態でした。肌の色も薄れてて、呼吸も弱かったです。義母も夫もただ挨拶をして、義父から離れたところで話をしていました。

私は経験上、もしかしたらその時が来るかもと思ったので、義父の手を握って呼吸を見ていました。

その1分後に一度呼吸が止まりました。

義父の名前を呼んで擦りました。呼吸が戻ったところで、義母と夫を呼んで、そばにいるようにと言いました。義父の首は左に向いていたので、夫は右に、義母は左に座るように指示し、手を握っているようにと言いました。私はすぐに義弟に連絡、夜勤明けだったので電話に出ません。義弟の奥さんにもメール。仕事中で返事はなし。

何度か義弟に電話したけど、無理でした。

私も席に戻って、足をさすっていました。足はむくんでいる事もなくきれいなままでした。

呼吸がだんだん弱くなり、息を吐く事がどんどん遅くなり、その口も動かなくなりました。

『Han er væk。』(逝ってしまった。)

と私が言うと、義母が立ち上がって顔に触れていました。首にも触れて、

『Oh nej.. han er helt væk!』(本当に逝ってしまった!)

と言って義母は泣きながら、職員に連絡して来ると言いました。夫も涙を流していました。そばにいたけど、あっという間で義父に色々と声をかける事も出来ませんでした。

それでも妻と息子に見守られ息を引き取った義父。老人ホームでこのタイミングはなかなか難しい事です。病院と違って、確実にその日を読む事が不可能だから。何て運が良かったのだろうと思いました。

その後どうするか、義母も夫も当然頭が真っ白です。私もプロですから、落ち着きながら今日これからしなければいけない事を一つずつ説明しました。義母は義父に着て貰う洋服を選び、白のシーツを家まで取りに行きました。そして死後処理が終わるまで待ち、終了後義父を見に行きました。

何と口元が笑っていました!!こんなに奇麗で安堵な顔の人、初めて見ました。感動でした。いつもの笑顔以上でした。

義母は義父にキスをして、お別れしました。

その後Bedemandと言って葬儀屋と言うのでしょうか、そこに電話をし打ち合わせ。教会のチャペルで土曜日に決まりました。そして亡くなった次の日に老人ホームでお別れ会をする事になりました。

このお別れ会は葬儀屋が棺桶を持って来て故人を棺に入れた状態でお別れの歌を歌うのです。そして見送ります。義父は葬儀日まで教会にある保管場所で過ごします。

お別れ会には義父と仲が良かった入居者さん2人が参加しました。それを聞いて、あんなにホームに住むのは嫌がっていたのに、最後は友達も出来て楽しく過ごせていたのだなと感じました。

不思議と義父は昨日より今日の方が顔色が良く、笑顔も増していた気がします。

もう痛みがない、大丈夫だと言っているように。

75歳、確かに少し早いかもしれません。でも最後の数年は本当に病気との戦いでした。義父は結構頑固でしたけど、決して嫌な意味ではなかった。自分の意志を貫く人だったのです。

私の夫は義父に顔も性格もソックリです。だから私は義父が大好きでした。義父はハンパなく方言バリバリで、デン語初心者の私が義父と話をするのは難しかったので、最初の数年はほとんど夫の通訳で会話していました。やっと義父の言っている事が半分くらいわかるようになったのが5年経ってから。その頃には体調も不安定で、4年前からは会話も山有り谷有りな感じでした。でもここ2年は色々とコミュニケーションを取り、義父を理解出来たところでした。

私は父も亡くし、義父も亡くしました。私に父がいないから、義父が、

『オレがお父さんだからね。』

って言ってくれたの忘れません。異国から来た私を優しく迎えてくれた義父、本当に愛くるしい人でした。

義母は本当に落ち込んでいて心配です。今はまだ葬儀前ですが、葬儀の後に悲しみから乗り越えられるか…、夫と義母を支えて行こうねと話しています。

葬儀には夫の息子達もやって来ます。夏休み期間で来れない人もいるけれど、私は幸い5日休みで有給を取る必要もなく、息子達も休暇中でも家にいて土曜日だから来てくれます。全てのタイミングが良く、義父はそうなるようにこの日を選んだのかなと思ってしまいます。

ちなみに葬儀のある土曜日は次男の誕生日です。それでも次男は来てくれます。

私の父が他界した時も家族の見守る中、手を握って息を引き取りました。父の葬儀は私の誕生日の前日でした。

『早くしなきゃな。』

の一言が忘れられません。早く誕生日を祝ってくれるの?それとも…早く逝かないと私の誕生日にぶつかってしまうと言う意味だったのか…。多分後者だと思います。父も義父も状況が似てて悲しいより心が暖かくなります。

死は悲しいけれど、誰にでも平等にその日が来ます。人生色々、生きている間は生きている事に感謝して楽しまなければ、と感じます。

お義父さん、お疲れ様でした。天国で会いましょう!!

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by Helgashjemdk | 2016-07-29 07:15 | デンマーク | Comments(0)