お別れの日
入居者のRさんが他界していました…。
5日休みだったので、一瞬『えっ?!マジで?!』みたいな気分でした。日曜〜月曜の夜中に亡くなったので、本日葬儀屋が15時半に来て彼女を棺に入れて連れて行くと施設長が言っていました。
早番のEMはRさんの担当だったので一緒に歌を歌うために残っていました。
デンマークでは葬儀屋が来て、入居者さんを棺に入れてからみんなを呼び、歌を歌ってお別れの挨拶をします。棺を閉じてしまう葬儀屋さんもいるけど、今回は家族が誰も来ないという事で、開けたままみんなで彼女の顔を見ながら歌を歌いました。
Kは週末勤務で、Rさんが悪くなっていく様子を見ていたそう。家族もやってきて話はしたけど、ご主人は受け入れる事が出来ず、今日は午前中に来てお別れをしてから帰ったそう。そこまでしたのになぜ?と思うかもしれませんが、たまに受け入れられない人もいるんですよね…、身内の死を。
それにしてもあっという間だった。Rさんは6月上旬に転倒し、そこから半分寝たきりになった。ちょうどMETALLICAの前日で、私は別の入居者さんの介助中でした。鼻を打ったのか、頭を打ったのか…。鼻血が凄くすぐに看護師に来て貰ったが様子見という事になった。←医者は来なかった。
Rさんは70代にして重度のアルツハイマーでした。言語を失い、ただ歩き回って笑ったり怒ったり。でも言葉として何かを言う事はほとんどなかったです。もう理解する事が一切出来ない程、重度でした。
アルツハイマーは寝たきりになって亡くなるパターンが多いですが、その前にRさんのように転倒が原因で、という事も良くあります。転んでから半寝たきりになり、食事をしなくなって1ヶ月、彼女の長い戦いは終わりました。だから本当に良かったと思っています。
介護の仕事をしていると、自分の最期はどんな感じになるのだろうと考える人は多いでしょう。本音を言えば、あの人のようには絶対なりたくないと思える人もいます。Rさんも私的にはその1人でした。Rさんは60代後半からアルツになり、2年前に入居して来ました。その時点で言葉は既に失っていて、歩き回り物は壊す、他人の部屋に入って悲鳴を上げられ怯えたり怒ったり…。その繰り返しでした。
かわいそう、としか思えない状態でした。でも彼女が寝たきりになってから、今年の夏は越せないなと感じていました。
私が資格取得の為の別のホームでの研修中に受け持った入居者さんがどんどん弱って行きました。その時に仲間の1人が、
『彼女の目を見てごらん。もう人生を諦めた目に変わったわ。持っても2〜3ヶ月ね。』
と言ったのです。その時の何とも言えない『目』の違い。確かにその入居者さんはそれから2ヶ月後に他界しました。それから亡くなる前の人達の目を見ていますが、みな同じなのです。諦めた後は早いのです。Rさんもそのような目に変わったと感じたのが2週間前。でもまさかこんなに早いとは思っていませんでした。
看護師だったRさん。入居して来た時、たくさんの人が驚いていました。だって彼女、うちのホームの看護師だったからです。変わり果てた姿を見て、ショックを受けた人もいた程です。
EMは泣いていた。
職員だって涙の一つくらい流したっていい。プロでも人間だから。
と言っていた。気持ちはわかるが、私はそこまで感情を込められなかった。だってRさんの人生は、アルツのせいでもう終わっていた。どれだけ状況を理解していたのかわからない。でも時々見せた悲しい目は自分で言いたい事があっても言葉に出来ない、何も出来ない自分にイライラしていた事もあったのでは?と思っていた。
Rさんは若い頃に一杯色々な経験をし、優秀な人だった事だろう。そんな経歴もプライドも一切切り捨てなければいけない程の状況になって最期の数年戦った。本当にお疲れ様でした。
Kも半泣きしていた。最期のお見送りの時、私の腰に手を回していたので私は彼女の肩に手を回し、みんなで去り行く車に手を振った。Kが、
『こうしてみんなにお別れしなければいけないのは辛い。』
と言ったのだが、私は、
『でも天国でみんなが待ってると思えば悲しくない。私が天国に向かった時に私が見送った人達みんながいるから。』
と言うと、Kが泣きながら笑って、そんな考え方もあるんだね、と言っていた。
夏はお別れの季節です。毎年誰か天国に向かいます。今年は……1人で済むかどうかわかりません。頑張って今出来る事をしなければ!と誰かとお別れした時にいつも考えます。
Rさんの最期の顔は、声をかけると笑ってくれるのでは?と思える程優しい顔でした。やっと安堵な顔を見た。苦しそうな顔でなくて本当に良かったと心から思いました。
by Helgashjemdk | 2014-07-08 08:34 | 仕事 | Comments(0)